昭和の生き証人であった偉大な政治家が、また1人この世を去りました。

中曽根元首相の死因、年齢は?
中曽根康弘元首相は、1918年(大正7年)5月27日に生まれて、本日2019年11月29日に101歳で都内の病院でこの世を去りました。大往生ですね。
年齢からも想像できるように、亡くなった原因は老衰でした。
中曽根元首相の出身地、学歴は?
中曽根元首相の出身地は群馬県高崎市末広町。
1935年(昭和10年) – 旧制高崎中学(現・群馬県立高崎高等学校)4年修了。
1938年(昭和13年) – 静岡高等学校(現・静岡大学)文科丙類卒業。
1941年(昭和16年) – 東京帝国大学法学部政治学科を卒業
Wikipediaより

大学卒業後は内閣に入省しています。
中曽根元首相の軌跡、在職日数は?
○1947年 衆院選で初当選。運輸省、防衛庁長官など歴任。
○1982~1987年 内閣総理大臣を務める。
○2003年 国会議員引退
内閣総理大臣を務めたのは5年間。首相在籍日数は1806日です。
中曽根元首相の主な政策
中曽根元首相の行った1番目立った政策と言えば、【旧国鉄▪電電公社▪専売公社の民営化】ではないでしょうか?
結果、
旧国鉄→JR
電電公社→NTT
専売公社→JT
へと生まれ変わりました。
『中曽根元首相と言えば?』①ロンヤス
中曽根元首相はアメリカのレーガン大統領と親交が深かったことは有名です。
お互いを「ロン!」「ヤス!」と呼びあい、お揃いのちゃんちゃんこを着用して過ごされたりしていました。

178㎝と当時の男性としては高身長だったので、レーガン大統領とならんでも見劣りしていませんね。
『中曽根元首相と言えば?』②靖国神社参拝
戦後初めて首相として、靖国神社に公式参拝を行いました。それが原因で中国などとの関係の悪化を招いてしまいました。
『中曽根元首相と言えば?』③三角大福中(さんかくだいふくちゅう)
佐藤栄作の後継を巡る、三角大福中(三木武夫・田中角栄・大平正芳・福田赳夫、そして中曽根)の一角として、ポスト佐藤の一人とみなされていました。

三角大福中って軽く言えちゃいますが、大物政治家ばかりですよね。
中曽根元首相の退任後
余力を十分に残したまま退任した中曽根元首相は、政界引退後も強い影響力を持ち、自身も精力的に活動を続けました。
1997年には【大勲位菊花賞】を授賞。

私は、政治には全く詳しくないアラフォー主婦ですが、こうやって中曽根元首相についてまとめてみて、改めて本当に偉大な政治家がこの世を去ったのだなと実感してしまいました。
とにかく存在感のある方でしたよね。
昭和~平成に渡って、日本のために尽力してくださった中曽根元首相。これからもきっと日本の行く末を見守っていてくださいと願います。